自己紹介

プロフィール

1969年 大阪生まれ

野球好きな少年時代、怪我で野球を断念せざる得なかった中学時代までを大阪で過しました。

中学当時、現在の実家の建前を家族総出で手伝った記憶が、その後ものづくりの現場へと、いざないました。

当時の氷上郡(現丹波市)に引越し、怪我から復活した青年は兵庫県立柏原高等学校で野球漬けの毎日を過ごし、卒業時の夢は機械設計のエンジニアでした。 

大阪工業大学工学部機械工学科に入学するも、親戚に紹介されて行ったアルバイト先が何と建築設計事務所でした。

傍から見れば機械も建築も同じ設計と思われたのでしょう。

畑違いではありましたが、とにかくやってみようと思い過した1年はその後の私の人生を大きく変えました。

むしろ、建築をするべくしてそうなったのかもしれませんね。そのような経緯を経て2回生から建築学科へ転科しました。

大学卒業後、建築設計事務所にてマンション、オフィスビルなどのビル物建築を主に担当。

持続的に競争力のある収益物件の企画、構造計画、内装計画、労働環境に配慮した建物などを得意分野としておりました。

はっきりとしたきっかけとは言えませんが、今思い起こせば、ある会社社長のご自宅など住宅を続けて担当した事から住宅への興味が少しずつ芽生えだしたのかも知れません。

建築の原点は「住宅である」との思いがこの頃から徐々に募ってきました。そしてその思いが募り募って

2001年 前事務所退職

2002年 木造の設計をするために開設

建築への想い

私が独立前に勤務していた設計事務所ではマンションや事務所と言ったビル物建築を主に、この職業に携わってきましたが、とあるマンションの完成検査での体験から当時まだ世間的には認識の薄かったシックハウスについて勉強を始めていた折、あの阪神大震災が発生しました。

それまで木造住宅は大工さんが考えて建てる物と言う業界の風潮が強くありました。しかし、阪神大震災では多くの木造家屋が倒壊に至りました。バブル景気頃の無茶苦茶な工事も原因したとは思いますが、事を知るつれ、私の中での関心は「木造住宅」へと移って行きました。そしてビル物建築から方向転換するために2001年前事務所退社し2002年「木造住宅」を建てたい思いを抱き現事務所をスタートしました。つまり、私には木造住宅に関する師匠がいる訳ではありません。それが幸いな事にスポンジが水を吸う如く、どんどん知識を吸収して行くことが出来ました。

スタートして丸8年が経過、9年目を迎えた現在、「住まいづくり」とは住まい手と直接、顔を突き合わせて、その反響を肌で感じられる素晴らしい仕事と実感しています。

しかし、私の目指す「住まい」は個性の強い際立った住まいではなく、周辺環境への調和と耐震性、耐久性、温熱や空気、省エネ環境をどう考えるかと言った性能を重要視した美しい形、つまり機能美建築なのです。

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