正しさだけが、正解とは限らない
昨今の設計事務所のSNSを見ていると、
技術的な議論がとても活発に行われています
その中には、
「これが正しい」
「それは間違っている」
「そんな設計はありえない」
といった、かなり強い言葉も少なくありません
内容を見ると、確かに筋が通っているものも多い
勉強もされているし、実務の裏付けもあるようで
だからこそ厄介だな、と感じることがあります
それは、「正しさ」がそのまま「正解」として扱われてしまうことです
建築は、条件の塊です
・寒冷地か温暖地か
・都市部か郊外か
・コストをどこに配分するか
・何を優先し、何を諦めるか
これらが少し違うだけで、最適解は簡単に入れ替わります
つまり、ある文脈では正しいことが、
別の文脈では最適ではない、ということは普通に起こり得ます
にもかかわらず、その前提が省かれたまま
「これが正解」と語られてしまうと、
それは途端に“狭い正義”になります
もうひとつ気になるのは、言葉の強さです
断定的であるほど、情報は魅力的に見えます
かつての小泉純一郎総理の演説がそうであったように
シンプルで、わかりやすいからです
しかし実際には、建築ほど単純化できない分野も珍しい
単純な言い切りの裏には、必ず削ぎ落とされた条件があります
その条件に触れないままの発信は、
たとえ内容が正しくても、
受け手にとってはノイズになり得ると思うのです
もちろん、誤った情報を発信することは論外です
ただ、「正しいが排他的」な発信もまた、
住まい手にとっては別の意味で判断を歪めます
選択肢が狭められ、思考が止まるからです
設計とは、本来もっと不確定で、
もっと幅のある営みです
正解を提示する仕事ではなく、
条件を読み解きながら、最適解を編み上げていく仕事
そこには必ず「余白」があります
だからこそ、強い言葉に出会ったときほど、
少し距離を取ってみることが大切だと思います
それは本当に“普遍的な正解”なのか
それとも“特定の条件下での最適解”なのか
その見極めが、これからの住まいづくりには必要になってくるはずです
私たちは、ひとつの正解を掲げるよりも、
複数の可能性を丁寧に扱う設計でありたいと思っています
遠回りに見えるかもしれませんが、
その方が結果として、豊かな住まいに近づくと考えているからです