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兵庫県丹波市を拠点に誠実に、これからの木の住まいづくりに向き合う芦田成人建築設計事務所

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兵庫県丹波市を拠点に誠実に、これからの木の住まいづくりに向き合う芦田成人建築設計事務所 芦田成人のブログです。

御風呂話 Ⅱ

本題は下の文字色が黒に変わった所からです。

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江戸時代、公衆浴場は庶民の娯楽や社交の場であった事は以前の掲載で歴史を振り返ってみた訳ですが、一方この頃、富豪といわれる商家や高級武士の屋敷、また遊郭や旅籠に、家風呂の原点ともいえる風呂が登場したようです。

首までザブンとつかれるもので、蒸し風呂や薬湯に対し、普通の井戸水を沸かして入るので「水風呂」(冷たい水という意味ではない) または「据え風呂」と呼ばれていたそうです。

しかし、井戸掘り料も高価で、肝心の薪もプロである銭湯ですら仕入れに苦労する状態。そこで普及したのが効率的に湯を沸かせるタイプの据え風呂だそうです。湯舟は湯量が少なく済むよう、人一人が入れるほどの木桶を利用し、浴槽の内側の縁に通気口のついた鉄製の筒をたて、この中に燃えている薪を入れます。すると通気口から入る風で薪が燃え続け、鉄の筒が熱せられることによって湯が沸くというアイディアものでした。木桶から鉄砲の筒が飛び出ているようなので、ついたその名も「鉄砲風呂」。もちろん鉄砲と浴槽の間には格子状の仕切をつけていましたが、しばしこれがはずれて思わぬ火傷をすることもあったそうです。この後、鉄砲の下部を箱形にして口をあけ、ここから薪をくべるという、まるでガス風呂が普及するまで戦後日本の家庭にあったようなタイプの風呂も誕生してしまうのです。


江戸ではこうした鉄砲風呂の変形型が主流でしたが、関西では「五右衛門風呂」が普及したようです。五右衛門風呂とは大きなのカマドの上に底が平たい鉄板型鍋を敷き、その上に据え風呂を置くモノで、風呂桶と鉄板の間は湯が漏らないように漆喰で固ていたようです。風呂の底を熱して焚くので少量の薪ですぐ湯が沸き、さらに木製のスノコ状の底板を浮かせることによって、それが蓋となりさらに効率的に沸かせるというものでした。浮いていた底板を湯に沈めて上に足をのせて入れば、浴槽の底は熱くありません。

この底板が時々風呂の中でずれてバランスを崩すと、熱い鉄釜に手が触れてアチチと言った経験もありますが、今もまだ時々五右衛門風呂の家風呂の御宅見る事がありますね~。

田舎だからかも知れませんが・・・。

話は逸れましたが、つまり江戸(関東)では木の風呂桶が、関西では鉄の風呂桶が普及したと言う事になります、これは鉄で栄えた堺の町の影響もあるのかなと勝手に推測する訳ですが、詳しい事をご存知の方は是非、コメントをお願い致します。

と言う事で今回は家風呂の歴史について簡単に見てみました。

その他諸々Narito Ashida