既製品は使う、だが任せない
既製品を使うこと自体は、まったく悪ではありません。
むしろ性能が安定していて、納期も読みやすく、価格も比較しやすい。
住まい手にとっても安心材料になります。
だから私は「既製品はダメ」とは言いません、
けれど同時に、既製品“だけ”で住まいをつくろうとすると、
そこには設計という行為が入り込む余地が急に小さくなります。
なぜなら、既製品中心の住まいは、突き詰めると「組み合わせ」になっていくからです。
カタログから選び、色を揃え、サイズを当てはめ、雰囲気を整える。
これはコーディネートとして大切な仕事ですが、
私が建築設計者として向き合いたい領域とは少し違う。
設計とは、空間そのものの精度と必然性をつくる仕事だからです。
分かりやすい例が、キッチン周りの什器類です。
吊戸棚、カップボード、家電収納、冷蔵庫スペース、ゴミ箱の位置。
既製品で揃えようとすると、どうしても「規格寸法」に支配されます。
ミリ単位の調整ができないため、最後に残るのは“逃げ”のような余り寸法、
たとえば壁と収納の間に、理由のない20mmや35mmが残る。
すると、その小さな余白が、暮らしの中でずっと「なんとなく変」を生み続けます。
掃除がしにくい、埃が溜まる、見た目が締まらない、納まりが曖昧に見える。
たった数センチの話なのに、空間の品位が落ちるのです。
私が考える真の設計は、そこを“数ミリ”で詰めていくことから始まります。
壁の厚み、下地の位置、見切り材の入れ方、天板の出、扉のクリアランス。
数ミリ単位のやり取りを重ねた結果として、空間が「なぜか整って見える」状態に到達する、
そこにディテールが宿ります。ディテールは飾りではなく、数字と納まりの積み重ねが生む必然です。
さらに、素材の問題もあります。
既製品の多くは、ツルツル・ピカピカとした均質な面で仕上げられています。
もちろんそれが似合う空間もありますが、私たちが大切にしたい“本物の木”の
素材感とは相性が難しい場面が出てきます。
木には木目の揺らぎ、触れた時の温度、経年変化があります。
一方で既製品の面は均質で、反射が強く、時間の要素が入りにくい。
両者を同じ空間に置くと、どちらかが浮く。
木の良さを引き立てたいのに、既製品の「完成され過ぎた表情」が
空間の呼吸を止めてしまうことがあるのです。
では、既製品はどこで使うべきか。
答えは単純で、「既製品が空間を支配しない範囲で、性能と合理性を借りる」です。
機器としての信頼性が必要な部分、メンテナンス性が優先される部分、交換が前提の部分。
そこは既製品が強い。
一方で、住まいの印象を決める面、触れる頻度が高い部分、視線が集まる部分、
そして寸法の“最後の詰め”が必要な部分は、設計でつくる。
既製品を活かしながら、既製品に飲み込まれない境界線を引く。
それが設計者の仕事だと思っています。
既製品中心の家は、たしかに早いし分かりやすい。
でも、住まいは「分かりやすさ」だけで出来ていません。
暮らしのストレスは、だいたい“ちょっとしたズレ”から始まります。
そして、そのズレを潰せるかどうかは、数ミリの世界を丁寧に扱えるかにかかっている。
芦田成人建築設計事務所がやりたいのは、カタログを上手に並べることではなく、暮らしの中に残る違和感を、設計で静かに消していくことです。
既製品は敵ではありません。
ただ、主役でもない。主役は暮らしで、設計はその暮らしが気持ちよく続くための「精度」をつくる仕事。
だから今日も、数ミリを詰めています。