言葉もまた、納まりで決まる
先日、ご縁をいただき、地元のFM局に出演させていただきました。
ラジオ出演そのものは今回で2度目でしたが、この番組に出させていただくのは初めてでした。
けれど、パーソナリティの方のお人柄のおかげで、妙な緊張をすることもなく、
自然に会話をすることができました。時間としては、とても楽しいものでした。
ただ、話している本人が楽しかったことと、
番組として聴きやすかったことは同じではありません。
話し手の手応えほど、当てにならないものもないのかもしれません。
その点、家で聴いていた妻が「聴きやすくてよかった」と言ってくれたのは、ありがたい感想でした。
自分では分からないものを、外側から返してもらえたからです。
今回、ひとつだけ強く心に残ったことがあります。
普段よく聴いているAM番組で、ゲストの方が最後に
「ありがとうございました、とても楽しかったです。」
と話されていました。
たったそれだけの言葉です。
けれど、その短いひと言で、その人がその場をどう受け取っていたのかが、きれいに伝わってきました。
内容以上に、終わり方の良さが印象に残りました。
私は今回、それができませんでした。最後は「ありがとうございました」で終わりました。
感謝していなかったわけではありません。
楽しくなかったわけでもありません。
けれど、思っていたことを、言葉としてきちんと納めるところまで至らなかった。
そこに、自分の未熟さがあると思いました。
建築も同じです。
設計は、考え方があるだけでは成立しません。
空間の骨格を考えることも大事ですが、それだけでは人には届かない。
寸法を決め、線を引き、見切りを納め、触れる部分の精度を上げ、最後まで整えて、ようやく設計は空間として伝わります。
思想があることと、設計になっていることは別です。
気持ちがあることと、伝わることが別であるのと同じです。
ラジオの最後のひと言は、小さなことのようでいて、実は小さくありません。
終わり方には、その人の姿勢が出ます。
設計で言えば、納まりにその人の仕事が出るのと同じです。
全体の構想をどれだけ語っても、最後の詰めが甘ければ、仕事の輪郭はそこでぼやけます。
おそらく、人が受け取っているのは、立派な説明そのものではなく、こうした細部の整い方なのだと思います。
空間も、言葉も、最後にどのように着地したかで印象が決まる。
むしろ最後の数秒、最後の数ミリに、その人の仕事は宿るのかもしれません。
今回の出演は、楽しい時間であると同時に、設計者としてあらためて考えさせられる時間でもありました。
このたびは、貴重な機会をいただきありがとうございました。
設計も言葉も、最後まで表現できてこそ人に届くのだと思います。
※ 写真と本文は直接関係ありません。