正解は変わる - 外野守備と設計の話 -
突然ですが、高校時代、私は硬式野球部で外野を守っていました。
自身のポジションを超えそうな高く上がったフライを追うとき、必ず言われていたことがあります。
それは、「一度ボールから目を切れ」という指導でした。
打球が自分の頭を越えそうなとき、ずっとボールを見続けていると初動が遅れる。
だから一瞬視線を外し、落下地点を予測して、そこまで最短距離で走る。
そこからもう一度ボールを捉えて捕球する。
最初は捕れなかった打球を当然のように捕れるようになるまで、何度も練習を繰り返しました。
当時の自分にとっては、それが“正しい外野守備”でした。
疑うこともなく、体に染み込ませてきた感覚です。
ところが最近、テレビで見た番組で、少し驚く場面がありました。
日本ハムの新庄剛監督が、「ボールから目を離すな」と指導していたのです。
かつて自分が教わったこととは、真逆のアプローチでした。
最初は単純に違和感がありました。
本当にそれで間に合うのか、効率がいいのか、と
しかし同時に、それが今の主流になりつつあるという話も耳にしました。
技術や身体能力、あるいはトレーニングの前提が変われば、合理的な動きも変わる。
そう考えると、どちらが正しい・間違っているという話ではなく、「前提が変われば正解も変わる」という、当たり前のことに改めて気づかされました。
この感覚は、建築にもよく似ていて
例えば、少し前まで当たり前とされてきたこと。
南向きが良い、部屋は6畳以上、窓は大きく、風通しを確保する——。
どれも間違いではありませんし、今でも有効な場面は多くあります。
ただ、それらが生まれた背景には、その時代の技術や暮らし方があります。
断熱性能が十分でなかった時代。
空調設備が今ほど発達していなかった時代。
家族の在り方や生活時間が比較的画一的だった時代
そうした前提の中では、それらは確かに合理的な“正解”でした。
一方で現在は、断熱や気密の性能は大きく向上し、空調も進化しています。
働き方や家での過ごし方も、多様になりました。
その中で、昔の定石をそのままなぞることが、必ずしも最適とは限らなくなっています。
外野守備で言えば、「落下地点を先に読む」のか「ボールを見続ける」のか
それは理論の優劣というよりも、“今の前提に対してどちらが合理的か”という問題です。
設計も同じです。
過去の知見を否定するわけではありません。
むしろそれは大切な蓄積です。
ただし、それを無自覚に前提としてしまうと、今の暮らしに対して少しずれた提案になってしまうことがあります。
だからこそ、一度立ち止まって考えます。
それは本当に、今の条件に対して最適なのか。
家づくりには、「なんとなくそういうものだから」という判断が意外と多くあります。
けれど、その“なんとなくの常識”が、いつの時代のものなのかを見直してみることは、とても重要です。
昔からそうだから、ではなく。
今の暮らしに合っているかどうか。
外野でフライを追いかけていた頃の感覚を思い出しながら、そんなことを考えています。
一度、ボールから目を離すのか。
それとも、最後まで見続けるのか。
設計もまた、その選択の連続なのだと思います。